この記事は愛媛県新居浜市の各地の歴史を知ってもらうため「松木坂井地区」についてまとめたものです。
新居浜市の変遷
愛媛県新居浜市は元禄4年(1691年)の別子銅山開坑以来、住友系企業の企業城下町として発展を遂げてきた都市として知られています。
- 昭和12年(1937年):新居浜町、金子村、高津村が合併し新居浜市になる
- 昭和28年(1953年):垣生村、神郷村、多喜浜村、大島を合併
- 昭和30年(1955年):船木村、泉川村、中萩村、大生院村を合併
- 平成15年(2003年):別子山村を合併
松木坂井連合自治会は、昭和40年(1965年)に発足されました。
松木の由来は「馬継場」
別子銅山開抗以降、鉱山への交通手段の一つとして馬が用いられていました。
当時の松木坂井地区には登り道同様に山から海へ抜ける道が通っており、休憩のために馬を繋いでおく場所「馬継場」があったそうです。
その「馬継(うまつぎ)」が転じて「松木」になったと言われています。
坂井の由来は「街の境目」
坂井は「堺」が転じたもので、その名の通り泉川村、金子村、中村の三村の境界にあったためその名が付けられました。
泉川校区は線路北側まで広がっていた
新居浜市の地区・校区を区切る大きなシンボルの一つとしてJR四国の線路があり、松木坂井地区のある泉川校区は現在、線路を隔てて南側に位置します。
しかし昭和30年(1955年)に新居浜市と合併して地区の整理が行われ、坂井町一丁目・二丁目の松木坂井地区分が金栄校区となるまで、泉川校区は線路北側まで広がっていました。
「松木坂井」という名前と独特な自治会編成(松木町と坂井町三丁目)は、当時の新居浜市の変遷を感じさせてくれるポイントの一つです。
昔の松木坂井の街並み
馬継場のあった松木坂井地区は立ち寄った人をもてなす飲食店や宿泊施設が多く立ち並ぶ地域でした。
また、粘土質の良質な土壌が広がっていたためいちじく栽培をする農家や瓦屋を営む世帯も多くあったそうです。
そして、昭和30年前後のインフラ整備により人口は爆発的に増加し、街は徐々に現在の姿へと移り変わっていきます。
現在の松木坂井地区
松木坂井地区は駅や大型スーパー・飲食店などが近隣に揃う利便性の高い街で、現在も市内他地区や市外から移り住んでくる人の多い地区です。
コアなファンの間では某人気声優さんの出身地としても有名で、地域のシンボルである松木坂井太鼓台には近年多くのファンがかき夫として参加し、聖地化しています。
松木坂井地区周辺の店舗・施設
最後に
いかがでしたか?
松木坂井地区は自治会活動が活発で、世代を超えた繋がりのある素敵な街です。
松木坂井地区の歴史についてより詳しい情報をお持ちの方は、是非新居浜BuzzSpot!にご連絡お願いいたします!
最後まで当記事をお読みいただき、ありがとうございました!
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